
不来方から
不来方から
盛岡管轄区の教会報「不来方から」の一部の記事を抜粋して掲載します。
12月号
巻頭
「今日神は地に降り、人は天に昇れり」
私たちの教会の暦では降誕祭は1月7日に当たりますが、盛岡管轄区では12月の半ばから各教会で降誕祭の祈祷が始まります。言うまでもなく降誕祭は私たち正教徒にとって最も重要な祭日のひとつですが、その意味を改めて考えてみたいと思います。
ハリストスによる人間(ひいては神によって造られた世界全体)の救済とは、もっとも簡略化して言えば神の子が人(あるいは造られた物)となったという事柄に集約されます。神ご自身が人間性、被造物性の全体をご自身のものとし、アダム以来崩れていた神と人間の繋がりを新しい形で回復しました。神のうちに人がおり、人の中に神がいるという結びつきによって私たちに永遠の生命が与えられます。その救いの恵みは天上から無造作に投げ与えられるものではありません。神をその中に受け止めたこの世界全体が清められ、むしろ私たちの側が神の高みに引き上げられるのです。そこで私たちは神と人との合一を見ます。この神秘の成就の為、神の子はこの造られた世界の一員とならなければならなかったのです。
主の藉身(受肉)の働きを時系列上に並べて記述すると、生神女福音(懐胎)→誕生→成長→伝道→受難→死→復活→昇天→再臨となります。この中で「再臨」は私たちの過ごす時間の中ではまだ起きていません。しかしハリストスが人間として、人間と同じように生まれ、育ち、そして死んだことはすでに起きたことです。主ご自身が人間の歩む道と同じ道を歩みました。それによってこの道は主ご自身のものとなり清められます。そしてまだ人間が自分の身で味わっていない「復活」と「昇天」の道を主が人に先駆けて歩むことで、私たち人間のこれから進むべき道筋が明らかに示されました。主が再臨するとき、この救いの道は完全に成就し、私たちは永遠の生命の中に復活します。ですから主の再臨が主の救済の「完成」であり、主の復活が私たちに示された「希望」であるならば、主の降誕は救いの「開始」として祝われるべきものです。「いよいよ主の救いの事業が始まった。長い長い間この働きの実現のために計画と準備がなされてきた。ついに神ご自身がこの世界に入り、計画の最終段階が開始されたのだ」。これが降誕祭の喜びの本質であり、この降誕の喜びの先には主の死と復活、そして再臨が透かし見えるのです。
もはや私たちキリスト者は「まだ見ぬ救いを待ち望む時間」の中に生きているのではなく、「救いが始まりその成就を待つ時間」の中に生きています。降誕祭の喜びのうちに、この救いの偉大なわざを知り、信仰と希望を育んでいきたいものです。
エッセイ
「Dream Fighter」
だいぶ前に会報のこのコラム欄で私がPerfumeのファンで、ライブに行った時のことを書きました。その記事にはかなり反響があった記憶がありますが、今年でいったん活動休止をするPerfumeの歌の一曲から今月のコラムを書いてみたいと思います。
私がPerfumeの最も好きな曲のひとつに「Dream Fighter」という歌があります。2008年のリリースですから彼女たちの(意外に?)長いキャリアを感じさせます。そのサビの歌詞が以下のような言葉です。
最高を求めて 終わりのない旅をするのは
きっと僕らが生きている証拠だから
もしつらいこととかがあったとしても
それは君がきっと ずっと
あきらめない強さを持っているから
僕らも走り続けるんだ
こぼれ落ちる涙も全部宝物
現実に打ちのめされ 倒れそうになっても
きっと前を見て歩く Dream Fighter
最近は世間が優しいというか、配慮に満ちているというか、「あなたはあなたのままでいいよ」「きみは今のままでいいよ」という「慰め」の方がウケる時代なのかもしれません。しかしこの歌で描かれている人物像は、どこまでも泥臭く、走り続ける熱血的姿勢に思われます。「普通じゃまだ物足りないの」という言葉もこの歌で歌われますが、理想を求めて前へ前へと絶え間なく推進する姿が鼓舞されます。それがPerfumeの三人の生きざまとよく合致しているからこそ良い歌として響くのでしょうが、しかしここで歌われている事柄はもっと普遍的な価値のようにも思われるのです。
私たちが「より良いものになろう」と努力するとき、その道筋は決して平坦なものではないはずです。足を引っ張るような誘惑もあるだろうし、理想を諦めさせるような巨大な壁が立ちふさがることもあるでしょう。その困難さを目の当たりにして「あなたは今のあなたのままでいいよ」と自分を慰め諦めるのではなく、「そのつらさは前に進むあなたの強さの証拠だし、その涙もあなたの宝なのだ」と励まされもう一度立ち上がることを選ぶのは尊いことだと思うのです。まあこの昭和的熱血は昨今あまり流行らない気もしますが…。
しかし聖書を読むと、私たちに求められているのは、やはりこの歌に歌われているような前を向き続ける熱さのように思います。聖使徒パウェルはキリスト者の一生を「一等賞のために走るアスリート」に例え、また「栄光から栄光へ」終わりなく変えられていくものと語っています。辛さもあるし、自分自身の無力感に絶望しか感じられなくなる時もあります。しかしそれでも「前を見て歩くDream Fighter」であることを私たちは忘れてはならないのです。
バックナンバー
2024年9月号
