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​不来方から

​不来方から

盛岡管轄区の教会報「不来方から」の一部の記事を抜粋して掲載します。

4月号
​巻頭
「墓に在る者に生命を賜へり」

 ありきたりな表現ですが、死は誰にも平等に訪れます。善人も悪人も死にます。今日生まれた赤ちゃんだって90年、100年と生きればやがて死にます。そんなことは人間誰しも知っていて、だからこそこの避けられない死から逃避するために、例えば古代中国では不老不死の薬を皇帝が探し求めたり、仙人になろうとしたりしたわけです。現代でさえ生命科学の最先端で、細胞の老化、劣化をもたらすゲノムを突き止め、少しでも寿命を延ばそうとする研究が真面目に行われています。人間は有史以来文字通り死に物狂いで死に抗ってきたのです。では誰かついに不老不死を達成することができたか、死から逃げ切った人がいるのかと言えば答えはノーです。どんなに人間が努力しても、やはり死は厳然と私たちの前に立ちはだかり、不気味にそびえたっています。


 なぜ人がこんなにも死に抵抗するのかと言えば、それは死というものが底知れない闇だからです。死から帰ってきた人はいないので、「死んだらどうなるのか」分かりません。ハリストスの時代、ユダヤ教には「シェオル」という概念があり、それは死者が入れられる地下の国でした。一般的に想像される「地獄」とは違い、悪人が罰のために苦しみに苛まれる場所ではなく、ただただぽっかりと空いた穴に善人も悪人も関係なく、死んだら投げ込まれるというイメージです。つまり「墓の国」と言い換えても良いかもしれません。死んだら誰でも、よく分からないくらい穴ぐらに投げ入れられ、その先のことは分からないというのは、地獄の苦しみとはまたちょっと種類の違う恐怖ではないでしょうか。このシェオルという場所は日本の古事記に描かれる黄泉や、ギリシャ神話のハデスにも通じるもので、死からの帰還不可能性と不可知性の不気味さが人類普遍の恐怖であることがよく分かります。

 さて私たちが復活祭で掲げるイコンには、白く輝くハリストスが暗い洞穴の上で踏ん張り、墓の中から一組の男女を引き上げている姿が描かれ、その周りでは聖人を表す光の輪が描かれた預言者や王たちと、光が描かれていない普通の人たちがその様子を見守っています。この洞穴が死者の国であり、善悪関係なくすべての人間が投げ込まれる場所であることがその描写からも理解されます。また引き上げられている男女は、最初の人間であるアダムとエヴァで、彼らは象徴的にすべての人間を示唆します。ハリストスもまた自分自身が死ぬことによって、例外なくこの死者たちの国に降りました。しかし神であるお方は死の国に降っても死に飲み込まれてしまうことはなく、逆に死の国の内側から生命の光を輝かせました。復活祭のトロパリで私たちは「死を以て死を滅ぼし」と歌います。ハリストスを飲みこんだので、死の国は内側から破壊されてしまいました。主はそこに投げ入れられていた全ての存在を再び生命に帰還させました。そしてご自身は三日目に甦り使徒たちに新しい生命を示しました。だから「復活祭」で祝う「復活」はハリストス個人の復活だけを意味するのではありません。ハリストスによって解放されたすべての者たちの生命への復活を祝うのが復活祭なのです。「墓に在る者に生命を賜えり」という言葉には、死から逃れられない私たちを含めたすべての存在がハリストスによって生かされるという意味が込められています。

 死は依然として私たちの前に口を開けています。しかしハリストスによって新しい生命の道筋が示された今、その死の暗闇は永遠に人々を閉じ込める虚無の洞穴ではなく、むしろハリストスが貫通させた新しい生命への通り道となりました。私たちはもはや死の暗闇を恐れる必要はなく、その暗闇の先に輝く永遠の生命の光を標として歩けばよいのです。復活祭を祝う時、私たちは私たち自身の復活を祝い、希望として改めて胸に刻むのです。
ハリストス復活!

​エッセイ
​「船出」

 私の祖父母が香川県の高松市に住んでいたので、家族で帰省するときには毎回海を渡る必要がありました。今でこそ、瀬戸大橋や明石・鳴門海峡大橋、しまなみ海道などが開通し、四国へは電車や自動車で行けるようになりましたが、それ以前はどうしても船に乗るしか四国に渡る方法が無く、子供の頃は「宇高連絡船」(岡山県宇野港と高松港を繋ぐ国鉄連絡船)を利用して祖父母の家を訪れたことを覚えています。幼稚園児かそれより小さなころの記憶なのでほとんどモヤの中のような思い出ではありますが。

 ある日連絡船に乗ると船員さんが紙テープを渡してくれて、出航するときにそれを投げろと言います。子供だったので親が投げたのかもしれません。色とりどりの紙テープが船から岸壁に投げられ、見送る人、見送られる人がしばし華やかなテープの握手をします。風で膨らんだたくさんのテープの帯がひらひらとはためいていた景色が妙に幻想的で、今でもぼんやりとした記憶の中であの光景が思い出されます。船の旅立ちの不思議な情緒と言っても良いかもしれません。

 さて私たちが死者を納める棺はしばしば「船」に例えられます。肩のあたりが膨らんだ縦長の六角形の棺は「舟形」と呼ばれます。ですから埋葬式はある意味で私たちの大切な友を船に乗せ、盛大にお見送りする出航式であると言うこともできるでしょう。紙テープを投げるように花を手向け、名残を惜しみつつ美しく旅立ちを見守ります。船はやがて遠くに離れていき、見えなくなっていきます。

 死者の船旅はこの世の岸を離れ、神の元を目指していく旅です。今日旅人を見送った私たちもやがて死に、同じように船に乗って見送られ出発します。そしてハリストスが約束してくださったように、死者が復活し永遠の生命が与えられる時が、私たちの船が目的地に到達する時です。その港にはかつて見送ったすべての人々が到着し、私たちはそこで再会を果たします。そして今度は二度と別れることなく「病も悲しみも嘆きも無い」生命を生きることになるのです。

 復活祭の喜びとはこの喜びの予感と先取りです。ハリストスご自身が棺に納められ葬られ、そして復活し光り輝く永遠の生命を弟子たちに見せ付けたのは、「あなたたちもやがてこの永遠の生命を生きるのだ」ということを実体験として教えるためです。何もハリストスがご自身の復活を誇るためではありません。だから私たちは死者の船出を見送るとき、いつも主の復活を記憶し心に刻まなければなりません。それは今見送った旅人と同じ道をやがて自分も進み、そして目的地で再び相まみえることになるという希望なのです。

​お問い合わせ

盛岡ハリストス正教会(司祭常駐)

019-663-1218

 

岩手県盛岡市高松1丁目2-14

1-2-14 Takamatsu, Morioka city, Iwate pref. 

morioka.orthodox@gmail.com

北鹿ハリストス正教会

秋田県大館市曲田80-1

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http://www.wp-honest.com/magata/

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​10-31-1 Tsuchibuchi-cho Tsuchibuchi, Tono city, Iwate pref.​​​

山田ハリストス正教会

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4-28 Hachiman-cho, yamada-machi, Iwate pref.​​​

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​1-4-3 Otokoishi, Esashi, Oshu city, Iwate pref.​​​

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